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日本健康アカデミー、糸日谷秀幸塾>心のビタミン

 ビタミン(Vitamin)という名称は、1911年、ビタミンB1を発見したC.フンクが「生命に必要なアミン」という意味を込めて「Vitamine」と名付けたことに始まります。

 「生命に必要なもの」、それは心と体の健康です。心と体は、ちょうどコインの表と裏の関係で、そのどちらかが不調になるともう一方も調子がおかしくなります。私は、長年、カウンセラーとして「心と体両面の健康」についてアドバイスさせていただきました。


"安らぎのビタミン"のコーナーは、「心のビタミン」と「体のビタミン」の2部構成で成り立っています。

【心のビタミン】・・・「心の健康」に関する参考本などをご紹介するコーナーです。精神的に落ち込んだ時、悩みを抱えている時、ぜひお立ち寄りください。

【体のビタミン】・・・「体の健康」に関する参考本などをご紹介するコーナーです。病気を予防したい時、病気に関する情報を知りたい時、ぜひお立ち寄りください。

【目次】
◆ イソップ物語
◆ パパラギ
◆ 六千人の命のビザ
◆ 心に残る人生ドラマ30話
◆ 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ
◆ 武士道というは 死ぬことと見つけたり
◆ フランクルに学ぶ
◆ 「人はなぜ生まれ いかに生きるのか」
◆ 夢をあきらめないで!
◆ 心に響いた詩
◆ 番外編 「知ってるつもり!」

◆ イソップ物語

イソップ物語
 「右に行くべきか、左に行くべきか」、人生には様々な岐路があり、思い煩うことが多い。そんな時にこそ、「イソップ物語」を思い出してほしい。

 「人に嘘をつくよりも、正直に話した方が最後は得だよ」(金の斧 銀の斧)
 「人に厳しく当たるより温かい心で接すれば、最後は相手も心を開いてくれるよ」(北風と太陽)
 「人を助けたら、自分にもよいことがあるよ」(アリとハト)
 「嘘をつくと人から信用されなくなるよ」(狼と少年)
 「困難が去ったからといって、安心してはいけないよ」(嵐の後)
 「他人に口出しする前に、自分がしっかりしないといけないよ」(おろかな占い師)
 「本当の幸せは、物の豊かさだけでは測れないよ」(田舎のネズミと町のネズミ)

 子供の頃に読んだイソップ物語は、童話というよりはむしろ「大人の人生参考書」であります。「子供の頃は素直に納得出来たのに、今はとても無理」という貴方。俗世にどっぷりと毒されてしまっているのではないでしょうか。用心、用心。
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◆ パパラギ

     岡崎照男訳 (立風書房)
パパラギ
 この本は、初めてヨーロッパという文明社会を見た南海の島(西サモア)の酋長ツイアビの演説集です。
  文明社会を痛烈に批判したこの本は、物質文明に毒された我々の心に"真の幸せとは何か"を問いかけてきます。 「パパラギ」は、我々日本人が失ってしまった素直な心を呼び覚ますような名作です。今の生き方に疑問を持った方、人生に行き詰まりを感じた方にぜひお勧めしたい作品の一つです。

パパラギの住まい
 パパラギは、巻貝のように堅い殻の中に住み、溶岩の割れ目に住むムカデのように石と石との間で暮らしている……たいていの小屋には、サモアの一つの村ぐらい沢山の人間が住んでいる……それぞれのアイガ(家族)は、壁一枚を隔てて隣り合っているにもかかわらず、他の家のことは何も知らない。
 それぞれの箱、パパラギは「部屋」と呼ぶのだが……光と風の穴さえない箱も沢山ある。サモアの小屋に吹くような新鮮な風は、どこからも入ってこない。このような箱の中で、サモア人ならすぐに窒息するだろう……だがパパラギは、石の箱が気に入っており、その害についてはもはや気が付かなくなっている。
パパラギの買い物
 「通り」には、巨大なガラスの箱が並んでいて、その中にはパパラギの生活に必要なあらゆるものが広げてある……だが、どんなにそれが欲しくても、勝手に取るわけにはいかない。欲しければ最初に、特に許しを受け、お供えを渡さなくてはならない。
 丸い金属と重たい紙、彼らが「お金」と呼んでいる、これが白人たちの本当の神様だ……白人の国では、お金なしには生きていけない。日の出から日の入りまでほんの一日も。お金がなければ、飢えも渇きも鎮めることは出来ない。
パパラギの価値観
 一人の人間の重さを測るのは、気高さでもなく、勇気でもなく、心の輝きでもなくて、一日にどのくらい沢山のお金を作ることが出来るか……ある人がお金を沢山持っていて、そのお金を使えば百人、いや千人がつらい仕事をしなくても済むとする。だが、彼は一銭もやらない。ただ丸い金属を抱えて、重たい紙の上に座っている。貪欲と歓喜に目を光らせながら。
 彼らは、沢山の自分の兄弟たちをつらい仕事の中に置き去りにして楽しみ、自分たちだけ体を太らせ栄えていく……。こうしてヨーロッパでは、半分の人たちがほんの少ししか、またはまったく仕事をしない。その一方、他の半分は沢山の汚れた仕事をしなければならない。この人たちには、日向ぼっこの時間もなく、他の半分にはたっぷりとある。
ツイアビの願い
 もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったからといってアローファ(贈り物)を欲しがるような人間を、私たちは軽蔑するという慣わしを大切にしよう……そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せで朗らかにしていられるあのパパラギのような心にならずに済む。
 お金で人は楽しくなったり、幸せになったりすることはない。それどころか、人の心を人間のすべてを、悪しきいざこざの中へ引きこんでしまうことを……物が沢山なければ暮らしてゆけないのは、貧しいからだ。大いなる心によって造られたものが、貧しいからだ。
 パパラギは、こうも言う。「このヤシは俺のものだ」。なぜかというと、ヤシが、そのパパラギの小屋の前に生えているから。まるでヤシの木を、自分で生やしでもしたかのように。ヤシは、決して誰のものでもない。
 おお、兄弟たちよ。サモアの一つの村なら、村人全員が入れるほど大きな小屋を持ちながら、旅人にたった一夜の宿も貸さない人。こんな人間をどう思うか。手にバナナの房を持ちながら、すぐ目の前の飢えた男に乞われても、ただの一本も分けてやろうとしない人……これが、いつでもパパラギがすることなのだ。
 しかし、パパラギは分かっていない。神が私たちにヤシやバナナやおいしいタロイモ、森のすべての鳥、そして海のすべての魚を与えたもうたことが……神から沢山のものを貰えば、兄弟にも分けてやらねばならない。そうでないと、物は手の中で腐ってしまう。なぜなら、神の沢山の手はすべての人間に向かって伸びており、誰か一人が沢山のものを持つのは、決して神の心ではない……神が正しいその手の中で、すべてのものを支えておられる限り、戦いもなければ苦しみもない。
 パパラギの言葉は、バナナのように甘い。だがそこには、私たちのすべての光とすべての喜びを殺してしまうかもしれない槍が隠されている。私たちは、あの大いなる心のものの他には、ほとんど物など必要でないということを忘れてはならない。

追伸
 本当の豊かさとは、一体何なのか? この問いかけは、大正12年にアイヌの少女・知里幸恵によって出版された『アイヌ神謡集』の中にも著されています。アイヌの教えでは「自然の恵みは神々からの授かりものであり、生きとし生けるものは神々のもの。たとえ木1本でも粗末にしてはならない」。自然を思い敬う心。そこには"環境破壊"という文字はありません。我々シサム(和人)が忘れてしまった精神がアイヌの教えには生きています。そんな大切な文化が忘れ去られようとしていることが残念でたまりません。
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◆ 六千人の命のビザ

     杉原幸子著 (大正出版)
六千人の命のビザ
 2005年10月11日 夜9時、日本テレビ系のTV番組で杉原千畝氏の物語が放映されました。俳優反町隆史さんの名演技が素晴らしかったのですね。

 杉原氏は、リトアニアの日本領事として赴任し、1940年、ユダヤ人救済のためのビザを大量発給して6千人の命を救うという功績のあった日本人です。

 今海外での反日感情、日本へのバッシングの様子が、テレビで放映されています。確かに戦後処理や靖国問題など日本人として十分な対応をこれまで取ってこなかったことは否めません。過去の戦争責任においてもこのまま水に流そうなどという無責任なことは、社会的にも許されないでしょう。

 しかし、私が一番心配しているのは、外国人による反日感情の暴動を今の子供たちがテレビで見て「本当に子供たちに良い影響を与えるのであろうか」ということです。「日本人は、悪者だ」というレッテルを貼られ、日本人としての誇りもプライドも無くし、萎縮してしまった大人たちの姿を自分の子供には見せたくありません。

 過去の戦争は悪いことだけど、日本人すべてが悪者であったわけではない。杉原千畝氏という立派な外交官が当時いたということだけでも、今の子供たちに伝えられたらと思っています。
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◆ 教科書では教えない 心に残る人生ドラマ30話

     糸日谷秀幸著 (愛生社)

六千人の命のビザ
  自分が書いた本について云々するのも、少しおこがましい気は致します。元来、この拙著は、うつ病やノイローゼで悩む相談者への「生き方の道標になるならば」と思い、歴史上の人物の生き方について書いてみようと思ったのがきっかけでした。
 子供の頃、シュバイツァーやナイチンゲールに憧れていたように、故人や歴史上の人物でもよいから人生の師匠を持ち、その生き方に学ぶことは大切なことです。
 人は長い人生の中で迷い、悩み、そして苦しみます。しかし、それは決して恥ずかしいことではありません。
 北面の武士でありながら、23歳で出家した西行法師もまたうつ病であったといわれています。「鴫立つ沢の秋の夕暮れ」「願はくは花の下にて春死なん」といった詩が我々の心に響くのも、心の病でもがき苦しみながら辿り着いた境地であったからだと私は思います。
 人は悩み、苦しむからこそ成長できるものだと思います。カウンセラーの仕事は、暗いトンネルの中に一筋の光を当てることだと思います。しかし、その明かりに向かって自らの足で歩くのは相談者自身だということも忘れないで欲しいと思います。
 人生に躓いた時、自分が尊敬できる人がいて、その人の生き方を参考にして「自分も頑張ろう!!」。そんな気持ちが持てたらいいですね。この拙著に限らず、自分だけの愛読書を持っていただけたならば光栄です。

 「世界にたった一つだけの花」という歌がありますが、自分の人生を「他人と比較する」から苦しくなるのです。人それぞれ置かれた環境や立場、才能と個性、それに物の価値観でさえも違いますから、本来他人と比較出来ないものなのです。物質的価値観のみに捕らわれるのではなく、思いっ切り自分らしい生き方をして、自分独自の花を咲かせてみませんか。
 シェークスピアも福沢諭吉先生も「人生は芝居である」という言葉を残しています。王様の役を演じる人もいれば、乞食の役を演じる人もいる。みんな自分に与えられた役を一生懸命演じることが大切です。渥美清は二枚目俳優の役を演じられませんが、二枚目俳優はフーテンの寅さんを演じることは出来ません。人それぞれ与えられた役柄というものがあって、世の中が成り立っているのです。たとえ乞食の役であっても嘆くことはありません。人は死んであの世に帰れば、王様も乞食もいないことに気づくわけですから……。

 最後に、拙著の中から「逆境をどう生きるか--西郷隆盛--」の冒頭部分をご紹介致します。

獄中感有り(ごくちゅうかんあり)
朝に恩遇を蒙り夕に焚坑せらる
人生の浮沈は晦明に似たり
縦い光を回らさずとも葵は日に向かう
若し運を開く無くとも意は誠を推さん
洛陽の知己皆鬼と為り
南嶼の俘囚独り生を窃む
生死何ぞ疑わん天の附与なるを
願わくは魂魄を留めて皇城を護らん
(訳)
朝には恩恵を受けていたのに、夕方には穴埋めの刑に処せられる。
人生の浮き沈みは、一日の昼夜に似ている。
たとえ日が当たらなくても、葵の葉は太陽に顔を向ける。
たとえ自分の運は開かなくても、心はどこまでも忠誠を尽くすつもりである。
思えば、都の友人(勤皇の志士)は、皆死んでしまい、
南海の小島の獄にいる自分一人だけが、生き残っている。
生と死とは、天が与えてくれるものである。
ただ願うのは、魂だけはここに留めて帝のいる城を守り続けたいものである。


◆ 飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ

     井村和清著 (祥伝社)
飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ
 2005年10月10日に放映されたフジテレビ系のドラマ「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」は、1979年に悪性腫瘍のため右足を失いながらも医療を続け、32歳の若さで亡くなった医師・井村 和清さんが、娘の飛鳥ちゃん、そして妻のお腹に宿ったまだ見ぬ我が子に向けて綴った手記が原作です。

 愛する妻と幼いわが子を残して早世するということが、どんなに辛いことなのか。そんな辛さを微塵も出さずに手記を書いた井村先生に私は、敬意を表したいと思います。

 学生時代に神田の書店で買い求めた「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」の本を片手に、ドラマを見ながら思い切り泣いてしまいました。ドラマでは、稲垣吾郎さんの演技がとても自然体で、すんなりと共感が持てました。

 実は、その3日前のことです。私は、30代の女性からある相談を受けました。「自分は末期のがん患者である。しかし、まだ子供が幼いので、一日でも長く生きていたい。担当医からは「もう何も打つ手はない」と言われたが、代替療法でも何でもいいから教えてほしい」そんな悲痛な相談でした。残念ながら私の力は無力で、何も出来ませんでした。彼女の話をただただ黙って聞くことぐらいしか・・・。私はカウンセラーとして、これまでどれほどの涙を見聞きしてきたことでしょう・・・。

 この本の中で私が特に注目した箇所が2箇所あります。一つは、がんの肺転移を知った夕方のこと。世の中のすべてが輝いて見えたという記述です。「スーパーに来る買い物客が輝いている。走り回る子供たちが輝いている・・・。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊くみえたのでした」

 がんの宣告を受けた人が花見に出かけた際、桜の花びらが黄金色に輝いて見えたという話を聞いたことがあります。一期一会ではありませんが、これで最期かと思うとすべてのものが美しく、そして愛おしく見えてくるのでしょうか。

 「来年また花見に来ようよ」人はいつもそう言いますが、来年また来れるという保障などありません。一日一日を大切にしたいものです。

 もう一箇所は、井村先生の「あたりまえ」という詩です。
   あたりまえ
   こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう。
   あたりまえであることを
   お父さんがいる
   お母さんがいる
   手が二本あって、足が二本ある
   行きたいところへ自分で歩いてゆける
   手をのばせばなんでもとれる
   音がきこえて声がでる
   こんなしあわせはあるのでしょうか
   しかし、だれもそれをよろこばない
   あたりまえだ、と笑ってすます
   ………
   こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない
   そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
   なせ゛でしょう
   あたりまえ

 さだまさしさんの曲の中で、私が一番好きな歌「おむすびクリスマス」という歌があります。
   君はもう忘れてしまったかしら二人だけのクリスマスイブ
   ケーキのかわりに君がこさえたおむすびの塩が胸にしみた
   おむすびクリスマス忘れない笑いながら泣いていた君を
   おむすびクリスマス本当はとても幸せだったとあとで気づいた
   
 失ってしまってから、失ったものの大切さに初めて気づく。人はお金や土地、財産といった目に見えるものは大切にする。だが、本当に大切なものは目に見えないものの中にあることに・・・気づかない。
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◆ 武士道というは 死ぬことと見つけたり

     ジョージ秋山著 (幻冬舎)
武士道というは死ぬことと見つけたり
 佐賀鍋島藩士であった山本常朝が口述し、田代陳基が筆録したとされる武士道の本があります。『葉隠』という本です。

 この本は、その葉隠の内容をわかりやすく解説したマンガです。いいえ、マンガといっても侮ってはいけません。『葉隠』が書かれたのは、江戸中期である1716年頃。戦いで武功をあげる時代は過ぎ、武士はサラリーマン化していきます。まさにサラリーマンとしての宮仕えの心構えを説いた本と言っても過言ではありません。いわゆる儒教倫理に根ざした武士道とは、まったく異なるものです。そういう意味で、新しいサラリーマン金太郎的必読マンガといえるでしょう。

 葉隠には、「一日一死」という言葉が出てきます。仏教では「一日一生」という言葉がありますが、ちょうど裏表のようなもので言っている本質は同じです。毎日毎日を大切にして生きる。わかっているけれど、実践はむずかしいものですね。

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬはうに片付くばかりなり。……毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく家職を仕果すべきなり」
「覚の士といふは、事に逢うて仕覚えたるばかりにてはなし。前方に、それぞれの仕様を吟味し置きて、その時に出会ひ、仕果するをいふ。然れば、万事前方に極め置くが覚の士なり」
「我に不足ある事を実に知りて、一生成就の念これなく、自慢の念もなく、卑下の心もこれなくして果すなり。柳生殿の『人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり』と申され候由。昨日よりは上手になり、今日よりは上手になりして、一生日々仕上ぐる事なり」
「大雨の感と云ふ事あり。途中にて俄雨に逢ひて、濡れじとて道を急ぎ去り、軒下などを通りても、濡るる事は替らざるなり。初めより思ひはまりて濡るる時、心に苦しみなし、濡るる事は同じ。これ万づにわたる心得なり」
「盛衰を以て、人の善悪は沙汰されぬ事なり。盛衰は天然の事なり。善悪は人の道なり。されど、教訓の為には盛衰を以て云ふなり」
「名人も人なり、我も人なり、何しに劣るべきと思ふて、一度打ち向はば、最早その道に入りたるなり」
「端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり」
「唯今がその時、その時が唯今なり。二つに合点している故、その時の間に合はず」
「勝ちたがりて、きたな勝ちすれば、負けたるに劣るなり。多分きたな負けになるものなりと」
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◆ フランクルに学ぶ

     斉藤啓一著 (日本教文社)
フランクルに学ぶ
 第二次世界大戦中、ナチスによって強制収容所に送られて亡くなったユダヤ人は約600万人。そのうち約半数の死亡者は、アウシュヴィッツ収容所内であったといいます。V.E.フランクルもユダヤ人としてアウシュヴィッツ収容所におくられました。彼は、オーストリア出身の精神科医であり、収容所内での人々の心理を冷静かつ客観的に分析し、戦争終了後、その体験を基にした著書を著しました。

 著書『フランクルに学ぶ』は、「人は逆境の中でいかに生きるべきか」について書かれた本です。例えば、収容所内では「クリスマスから新年にかけて大量の死者が出た」という記述があります。フランクルはその理由として「クリスマスには釈放されたいという希望が打ち破れたためではないか」と推測しています。このエピソードは、人生にとって"希望"を持つということがいかに大切なことであるかを教えてくれます。

 さらにフランクルは語ります。「人生に何かを期待するのは間違っている。人生があなたに期待しているのだ」この言葉は、一見矛盾するような言葉ですが、彼は次のように語ります。「未来には、あなたによって生み出される何かが待っている。人生は、あなたがそれを生み出すことを期待しているのだ」「待っている人、あるいは待っている仕事への責任を自覚した人間は、生命を放棄することは決して出来ない。またほとんどいかなる困難にも耐えられるのである」 私は、これまでカウンセラーとして数多くの人々の悩みを聞いてきました。いのちの電話相談室のカウンセラーも経験してきました。"希望""夢"そして"愛"、大切なものを見失ってしまった人にぜひご一読していただきたい著書の一つです。

【フランクルの言葉】
 「自らの未来を信じることが出来なかった人間は、収容所で滅亡していった」
 「人生に何かを期待するのは間違っている。人生があなたに期待しているのだ」
 「倒れそうな建築は屋根に重荷を載せるとしっかりする。人間も負担を背負った方が強い」
 「悩む人ほど健康で人間的である。悩む能力が麻痺していないからだ」
 「苦悩はあくまでも成長の機会であって目的ではない」
 「運命は何のために訪れるのか? 本当の自分に目覚めるために」
 「人生の幸福はどれだけ快楽を得たかではなく、どれだけ感動を得たかによって決まる」
 「あなたがいるだけで世界は意味を持つし、生きている意味があると思わせる人生こそ最高だ」

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◆ 「人はなぜ生まれ いかに生きるのか」 (ハート出版)

     江原啓之著
人はなぜ生まれ いかに生きるのか
 江原氏のスピリチュアルな世界を受け入れることが出来るか否か、それは皆さん各個人のご判断にお任せしたいと思います。

 私はこれまでに二人ほど記憶喪失の女性にお会いしました。一人は若い女性でした。婚約者がおり、彼のためにクリスマスプレゼントとして手編みのセーターを編んでいました。その彼が冬山で遭難。その知らせを聞いた直後から、それ以降の彼女の記憶がありません。彼女の記憶は、「彼はまだ冬山にいる。そして、山から戻ってきた時にクリスマスプレゼントとして手編みのセーターをあげたい」その時点で、ストップしているのです。私が見たのは、ただ毎日毎日、精神病院の病室の中でセーターを編んでいる健気な姿でした。

 もう一人の女性は、30代の主婦でした。幼稚園に通う男の子がおりましたが、ある日その子が交通事故で死亡。その知らせを聞いた時から、記憶を失ってしまったのです。私が見たのは、精神病院の薄暗い部屋の片隅で、今は無き息子に語りかけるかのように独り言をつぶやいている姿でした。

 世の中は、なんと不条理なのでしょうか。幸せな人もいるのに、まじめに生きているはずなのに不運に見舞われてしまう人もおります。私はカウンセラーとして、何度も相談者の涙に接してきました。涙を癒してくれるのは、親しい人たちの優しい言葉と時の流れだけなのでしょうか。

 あるいは、宗教や哲学によっても癒されることは多いと思いますが、それでも自分の不幸は納得がいかない、この世に神も仏も存在しないのか、そこまで落ち込んでしまったときには、ぜひ江原啓之さんの本を紐解いてみてください。非科学的ではないのかと批判を受けることもあろうかと思いますが、カウンセラーの一人として「誰にでも生きる権利がある。そして、納得のいく人生を過ごしてほしい」そういつも願っております。

「あなたという星には、あなただけの輝きがあります。たとえ「自分の人生は、人には見つけられないようなささやかな光しか放てなかった」と思ったとしても、それでいいのです。強い光も弱い光もあるから、夜空は調和の取れた美しいきらめきを見せています。いろいろな人がいていいし、「人生、何もいいことがなかった」という人でも、みんなどこかは必ず輝いているはず。そして、どんな星でもいずれは必ず流れていく。だから、他の星と比べることが出来ないのです(江原啓之)」

ある警部補のお話
 それは、東日本大震災の被災地に派遣された2日目のこと。12歳の女児の遺体が、母親に付き添われて廃校になった暗い体育館に運ばれてきました。母親は「お巡りさん、私を殺して!! 娘が悲しんでいるから、そばにいかなきゃ!!」……そう泣き叫んだそうです。
 話を聞けば、母子家庭で友達のようだったという親子。津波に飲まれ、何とかがれきにつかまったものの、自分が救助されている間に娘は流されてしまった……。娘が荼毘に付されるまで、氷点下の気温の中で、母親は自分の上着を娘にかけて何日も寄り添っていたそうです。
 43歳の警部補にも、同じ年頃の子供がいました。彼は泣きながら、母親の話を聞き続けました。

 死ぬことよりも、生き続けることの方がはるかに辛い……そんな人生さえある。親にとって、わが子はかけがえのない宝物。そんな大事な宝物を失ってしまった今、これからどうやって生きていけばいいんだろう。
 人生とは、どうしてこんなに不条理なんだろう。無慈悲なんだろう。
 それでも人は、歯をくいしがってでも、残された人生を生きていかなくてはならない。
 人生に絶望する前に、一度はぜひ読んでおいて欲しい本がある。
一冊は、江原啓之著『人はなぜ生まれ いかに生きるのか』(ハート出版)
二冊目は、美鈴著『あの世のひみつ』(徳間書店)
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◆ 夢をあきらめないで!


 「自分はこれまで一生懸命頑張ってきた。しかし、希望の職業には就けないし、結婚も出来ない。世の中はなんて不公平なのだろう」ある日、そんな38歳の男性の相談を受けた。聞くところによると精神科でうつ病の診断を下された直後で、それもショックだったらしい。

 「兎角この世は住みにくい」と言ったのは夏目漱石であるが、"3つの条件"が揃わなくては仕事で成功を収めることは難しい。
3つの条件とは、
 1、 実力
 2、 運
 3、 時代の波
 この3つのどれか一つでも欠けていれば、人生における成功者に成り得る事はない。世の中、実力だけではどうしようもないのである。

 春に咲く花を冬に咲かせようと思っても所詮無理なように、春というチャンスが来るまでじっと耐えることもまた人生なのである。
2005年11月9日 朝日新聞朝刊 「絵看板師・久保板観さんの記事」
 2005年11月9日、朝日新聞朝刊に絵看板師・久保板観さんの記事が掲載されていた。「いつかは東京のど真ん中にある有名な劇場に、新作の絵看板を掲げたい」中学卒業後、看板屋に弟子入りしながら夢を追い続けてきた。そして、2005年11月、久保さんの描いた絵看板が銀座の映画館に飾られることに・・・。長年の夢がかなった時、彼は、すでに64歳になっていた。

 夢を追い続けることよりも挫折し、諦めてしまうことの方が多い世の中。究極は「人が何と言おうと、自分の力を信じきる」これ以外に乗り切る道は、無いような気がしてならない。
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◆ 心に響いた詩

わたしと小鳥とすずと(作:金子みすず)

わたしが 両手を ひろげても
お空は ちっとも とべないが
飛べる 小鳥は わたしのように
地面を はやくは走れない

わたしが からだを ゆすっても
きれいな 音は でないけど
あの鳴る すずは わたしのように
たくさんな うたは 知らないよ

すずと 小鳥と それから わたし
みんな ちがって みんないい

人には得手不得手があるけれど、誰が一番なんてことはないんだよ。
学校で勉強が出来る、出来ない。運動が得意、不得意。
不得意だからといって、それがダメだなんて誰が決めたんだろう。
社会が勝手に決めた、単なるものさしじゃないのかい?
今のままでいいんだよ。みんな違って、みんないい。
お互いの個性を尊重し合えるような、そんな社会を作りたいな。


雨に濡れても( Raindrops Keep Fallin' On My Head )

降りしきる雨が僕を濡らす
小さな寝床で足がはみ出るように
何もかもしっくりしない
頭から僕を濡らす雨はまだ降り続いている
だから太陽に一言言ってみた
ちょっと酷くないかい
寝てないで仕事しろよ、って
頭から僕を濡らす雨はまだ降り続いている
でも一つ判っていることは
僕は雨のせいで憂鬱になったりしないし
もうすぐ幸せが僕に会いに来るはず
降りしきる雨が僕を濡らす
でもそれで泣き腫らしたりしない
泣いたって何もならないし
こぼしたって雨は止まないから
僕は自由だし
煩わされることもない

映画「明日に向かって撃て」の挿入歌、私が青春時代によく耳にした曲です。
当時は、雨が降ってくるとこの曲を流すシャレた店がありました。
大人になって訳してみると、曲の素晴らしさ以上に歌詩が素敵なことに驚かされます。
単なる雨の日の歌ではなく、これは人生への応援歌なんだ。
リストラにあって、これからどうしたらいいんだろう?
失恋して、これからどうやって生きていけばいいんだろう?
そんな時、「僕は自由だし、煩わされることもない」……という言葉は、勇気を与えてくれます。
悲しいことがあった時、辛いことがあった時、一度じっくりと聴いてみて下さい。
YouTubeで聴くことが出来ますよ。


◆ 番外編 「知ってるつもり!」


 以前、「知ってるつもり!」というテレビ番組がありました。中学、高校で習う日本史も、実は表面的な知識の詰め込みだけで、事の本質を見失ってしまう「知ってるつもり授業」でしかありません。私は、将来の子供たちのために「新しい日本史の授業形態をボランティア活動を通じて普及していきたい」、これを老後のライフワークの一つにしたいなとも考えています。
夕顔棚納涼図屏風
 ここに一枚の絵があります。これは、だいぶ前のことですが大学センター試験「日本史」に出題された絵でもあります。設問は、五択で「次の人物のうち、この絵の作者は誰か」 正解は、久隅守景。絵の題名は「夕顔棚納涼図屏風」です。久隅守景に関しては、これだけ知っていれば大学受験の日本史はOKです。でもそれでは、知ってるつもり・・・でしかありません。

 守景は狩野探幽の高弟で、探幽門下四天王の一人と称され、将来を期待されていました。しかし、息子が贋作を描いた罪で狩野派を破門され、息子は佐渡に島流しにされてしまいます。

 「夕顔棚納涼図屏風」は、久隅守景晩年の作品です。夕顔棚の下で涼む親子三人を描いていますが、登場人物は守景自身の若き頃を投射したものであるとも言われています。全盛期を極めた狩野門下での華やかな生活よりも、夢や希望を胸に描いていた若い頃が懐かしい…。晩年自らの人生を振り返ってみて、誰もが一度は思うことかもしれません。

 真の幸せは、花火のように華やかなものではなく、チルチルとミチルの話に出てくる青い鳥のように「平凡な日常生活」の中にあるということを・・・。
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